遺伝的・形態的な研究によって明らかになってきたように、狭義ハコネとシコクハコネは一部で同所的に生息し、交雑を避けて互いの独自性を保ちながら共存しているようだ。なぜこんなことが可能なのだろうか。ハコネサンショウウオ属の繁殖生態は特殊で、地下水中に産卵することが知られている。渓流の源流部にある水の湧出口から地下に入り、地下水脈の中で産卵するのである。繁殖時期は基本的には初夏(夏産卵)であるが、石川県のある場所では初冬に繁殖する(冬産卵)個体群も知られている(秋田, 1983)。そこでまず考えたのは、産卵を行う場所や時期が両種で異なり、交雑を避けているのではないか、ということだ。しかし、現在までに分かっている結果はまたも予想を裏切っている。初夏にとある繁殖地の湧水に集まってくる繁殖期の個体を調査したところ、この時期に両方の種が繁殖に来ていることが確認されたのだ。また、ある湧水から流れ出てくるまだ卵黄が残った新幼生(前年に産卵され、孵化した幼生)を捕獲してDNAを分析したところ、両種の幼生が混在していた。同所的な近縁種2種が、同じ時期に、同じ場所の地下水中で産卵している。そして同じ時期に幼生が孵化して流れ出し、同じ沢で成長していく。彼らの実に奇妙な生態はいまだ謎に包まれているが、いつかその秘密を明らかにしたいと思っている。
初夏の西中国山地のハコネサンショウウオの生息地。新緑が美しいが源流部にある繁殖地への道のりは長く険しい。
思えば研究開始にあたって初めてサンプリングに行った場所が、広大なハコネサンショウウオの分布域の中でほんの一部しかない、狭義ハコネとシコクハコネの混棲域だったのだ。そんなとても重要な地点を最初に引き当てることができたのだから、筆者とハコネサンショウウオの間には何かしら縁があったのだろうか。しかし、最後になるが、絶対に別種だと思った西中国山地の赤いハコネサンショウウオは、上に述べたように狭義のハコネサンショウウオ、つまり地元栃木のものと遺伝的には同種であった。ずいぶん遠くまで来たつもりだったが、まだハコネサンショウウオの手の内からは出ていなかったのだ。彼らのことを少しわかってきたような気がしていた時期もあったが、それはまだまだ先のことになりそうだ。
著者紹介
吉川 夏彦(よしかわ なつひこ)
1982年栃木県生まれ。2005年に京都大学大学院に入学、念願のハコネサンショウウオの系統分類学をテーマに研究を開始、本州と四国の各地を渡り歩く。新種記載などハコネサンショウウオ属の分類学的整理を進める傍ら、生態調査や保全に関する研究も行っている。国立科学博物館特定非常勤研究員を経て、2019年より慶應義塾大学生物学教室助教。