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日付

頭骨チューン・ベンの下顎の間接付近にインクとともに刻まれていた日付。「5/4/1887」(1887年4月5日)と読める。偶然に発見されたこの日付が手がかりとなり、後にこの頭骨の由来が判明した。

 間もなくして、博物館のキュレーターであるリム氏はとっさにオフィスにかけ戻り、過去の博物館の収集物の目録をめくり始めた。しばらくして、百年以上前に書かれた目録(Hanitsch, 1908)にチューン・ベンと思われる巨大ワニの頭骨についての記述を見つけ出した。そこには、1887年に長さ27+1/2inch(約70cm)のイリエワニの頭骨が、G. エドガーという人物によって当博物館に寄贈されたと書かれていた。続いて、この頭骨は全長22foot(約6.7m)のワニのもので、おそらくジャワ地方から持ち込まれたとも書かれていた。残念ながら、上顎しかないケルヴィンは謎のままだが、より大きなチューン・ベンの由来の謎は解けた。その精密度を検証することは叶わないが、おそらく頭部が切り離される前の捕殺直後に計られたと思われる全長まで判明した意義は大きい。

シンガポールのイリエワニ.JPG

シンガポールで撮影された魚を捕食するイリエワニ。大都会のイメージが強いシンガポールでもワニとの共存が課題となっている。

 現在、信用に足ると研究者たちに認められている記録の中で、イリエワニの全長の過去最大記録はオーストラリアのノ-ザン・テリトリーで射殺された6.7mであるが、今回の発見はそれに並ぶものである。インドのオリッサで733mmの頭骨が、全長23feet(約7m)の個体と言われているが、この全長記録は信憑性が疑われているので、今回の考察からは除外する。チューン・ベンがこの世界最長の全長記録と同率1位で、続いて3位はパプアニューギニアの全長6.2m、頭長720mmの個体、そして6.17mのロロンが4位である。一方、頭長ランキングでは、頭骨だけが残り全長の記録が一切ないという場合が多く、ケルヴィンとチューン・ベンはそれぞれ10位と11位に相当する(ちなみにロロンは12位)。イリエワニの世界最大の頭骨はカンボジア由来でパリの美術館に保管されている760mmである。頭長700~720mmで全長6mを軽く超えているので、760mmならば全長7mに達していても不思議ではないが、残念ながらこのワニの全長の記録は残されていない。今回の発見に関して言えば、長さ70cmを超える頭骨はほぼ間違いなく全長6m級のものであり、現在、全世界でも12個しか確認されていない。もちろん、これらと同等もしくは、さらに大きなワニが野生に生息している可能性はゼロではないが、2011年のフィリピンミンダナオ島においてのロロン捕獲以降、全長6mを越えるワニの存在の正式な報告はどこからもされていない。超巨大ワニの噂や言い伝えは様々な国に存在するが、全て憶測の域を出ておらず、実際の計測を経て正式な記録と認められているのはごくわずかである。テレビやインターネット上で幻の巨大ワニとして、たびたび紹介されているギュスターヴと呼ばれているナイルワニC. niloticusは、複数の人間がそれぞれに名付けた複数の違う個体で、そのどれもが信用に足る計測がされておらず、一番大きな個体でも全長6mには遠く及ばないというのが、現地の研究者を含め、現在のワニ類専門家の一致した見解である。ちなみに、生存しているワニの巨大個体がどれほど珍しいかというと、現在世界で一番多くイリエワニが生息しているといわれるオーストラリアのノーザンテリトリー準州(総面積、北海道の約17倍)で、筆者は10年以上にわたり野生個体群の頭数調査をおこない、毎年少なくとも1000頭以上のワニを観察しているが、全長5mを超えるワニを見たことは10回あるかどうかという程度で、5m半ともなると1970年代より続く調査の中で3頭ほど記録されただけである。

 以上のことを踏まえると、今回あらたに確認されたこの二つの頭骨の生物学かつ自然遺産的価値は非常に高く、その保存の意義は大変に大きい。事実、この博物館では、6m超のイリエワニのレプリカを作り、この二つの頭骨を常設展示に移す予定だとのことである。個人的には、いつの日か全長6mを超える個体が、131年前にこの頭骨がこの博物館にやってきた頃そうだったように、オーストラリアやジャワ、フィリピンにパプアニューギニアと、世界各地に戻ってくることを願ってやまない。

Everyone.jpg

今回のワニ頭骨の計測をおこなったチーム。左から、シンガポール国立公園局スンゲイ・ブロー湿地帯保護区副区長シューフェン・ヤン氏、今回の写真撮影を担当したバーナード・シアー氏、筆者、スンゲイ・ブロー湿地帯保護区区長チューン・ベン・ホウ氏、シンガポール国立大学リー・コン・チアン自然史博物館キュレーターのケルヴィン・リム氏。

著者紹介

福田 雄介(ふくだ ゆうすけ)

1980年東京都生まれ。20歳よりオーストラリアのダーウィンに渡りクロコダイルの研究を続ける。チャールズ・ダーウィン大学卒業後、ノーザンテリトリー準州政府でワニ類保全のための研究者として働く傍ら、2015年より博士課程修得のためオーストラリア国立大学に在籍。IUCNワニ類専門家委員会会員。

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